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冷静と情熱を兼ね備えた凡人

今から洗濯するという選択

自分の思いのままに選択することは実はとっても難しい、ということを最近になって気付いた。

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何かを選ぶ時「自分自身」の「思いのまま」「正直に」選択できる人ってどれくらいいるのだろうか。

自分の人生を振り返らずとも分かるくらい、私は自分に正直に生きて来なかった。と、いうより、「自分に正直に生きる」という考えすらなかったように感じる。

 

褒められたい、いい子でいたい、喜んで欲しい、認められたい、好かれていたい、嫌われたくない、など、これらは全て自分の幸せを他者に依存している。いわば押し付けであり、他者からの評価により一喜一憂するのは当たり前だがとても苦しく、でも中々やめられない。

 

他者からの良い評価というのは一見、自分の努力によって得られるもののような気がしてしまうが実は全く違う。

確かにある程度であれば自分の行いによって変えられる部分はある。例えば隣人に挨拶された際の行動として「和かに挨拶を返す」or「無視する」では隣人から得られる印象はだいぶ違うだろう。ただ、それらの「自分の行動によって左右される評価」というものには限度がある。

 

例えば私が友人にプレゼントをする、という行為。その時の私には少なからず「喜んでくれたら嬉しいな」という思いがある。が、当たり前だがそれを嬉しいと感じるか不快と感じるかは相手の自由でありこちらがどうこうできる問題ではない。

「貰って嬉しい」と思う人もいれば「こんなもの貰っても困る」と思う人もいる。もし私が「きっと喜んでくれる」という期待のもとにプレゼントを渡したとしたら、いざ喜んでもらえなかった時にそれは期待値の分だけ落胆や悲しみに変わる。場合によっては怒りに変わる人もいるだろう。

あげる側に自由があるとすれば、もらう側にも勿論自由がある。喜ぶ、嫌がる、感謝する、困惑する…どれももらう側の自由であり、そこに勝手に期待して一喜一憂するというのはあげる側の問題でしかない。

 

と、偉そうに書いたが、実は私自身このことを半分も分かっていなかったのだ。

 

というのも、私の場合、例えば人に何かをあげる時に特別期待をしている訳ではない(というかそんなつもりは全くない)が、逆に自分がもらう側になった時には「喜ばなければいけない」「いい反応をしなければいけない」という強迫観念が無意識のレベルで存在する。

言い方は悪いが、たとえどんなゴミみたいなものを貰ったとしても相手が「あげた感」「喜んでくれるだろう」というスタンスで来た場合は自分がどう感じたとしても「喜ばなければいけない」という風に、自分の意思とは全く別なところで反応の選択をしてしまうのだ。

今まで接客業という職業柄、人からものをもらう機会が多々あるのだが、どう考えてもゴミとしか思えないようなものをもらうことがある。

先日は5年〜25年以上前の古着や文具を1度にゴミ袋8袋分貰った。おーい、私自転車で帰るんだよどんだけ〜?

私は古着に特に抵抗がないタイプだが、内容が内容で正直言って使いたいと思えるものはなかった。勿論、古着屋に売れるような品など1つもない。

言わずもがな、大変迷惑である。

が、これをくれた人は「もったいないから」「喜んでくれるはずだ」「良いことをした」と本当に思っているのだ。その人がいい人なのは知っているので悪気がないのは分かるしその気持ちは嬉しい。が、大変迷惑である。

それでも悲しいかな、私の中の「喜ばなきゃスイッチ」は勝手にON、相手が求めている(であろう)反応を返してしまう。「わあ、こんなにたくさん、ありがとうございます!ニコ」

 

 

ニコ ^^ ニコ

 

 

二重人格かな?

いや本当に嬉しいんですよその気持ちは。気持ちはね。でもほら、あげる際の少し配慮というかさ、なんかこう、ちょっとばかし想像出来なかったかな〜…

 

大量のゴミの話(失礼)はさて置き、この、私がよく条件反射でやってしまう「相手が求める反応をする」というのも、また自分勝手な話である。

相手が求める反応など私の勝手な予測でしかなく、それが正しいとは限らない。間違っているかもしれない。そして自分の気持ちと違う反応をすることで矛盾が生まれストレスが溜まる。

しかし、当のあげた本人は「あげた=満足、完結」な場合も多く、相手の反応など大して気にしていない。それなのに私は自分で勝手に気を遣い、勝手に疲れ、勝手にストレスを溜めてしまう。なんだこれ。超無駄。

 

要するに、幼少期に形成された「いい子でいなければいけない」「人の期待に応えなければいけない」という強迫観念が根強く残る私はとっても面倒臭い人間なのだ。人様の行動を勝手に予測し勝手に行動し勝手にストレス溜めてるドM。いやいや、こんなの一刻も早くやめよう。

 

私はシンプルなことが好きだ。

ファッションも、人間関係も、何もかもシンプルで分かりやすく、かつハッピーにいきたい。

 

あれをしたい、これをしたい、こうしよう、ああしよう、という選択。人生は、というか日々は選択の連続であり無意識にも常に選択しながら私たちは生きている。生きるという選択をしている。

その中で、今まで私は「どの選択をしてもいいという自由」に気付かないフリをして選択肢を他者に依存し、それ故(勝手に)傷つくことも多かったのかもしれない。

 

生まれてからもうすぐ30年。

ようやく気付いた私は、これからはシンプルに、他者に依存するのではなく、自分の思うままに、自分自身の選択に責任をもって選択する、という選択をすることにする。

 

なんのオチもないけど終わり。